先に断っておきますが、これは私個人の考えであって、
考え方を強制するものではありません。
文章力がまだまだ稚拙な私ですから、
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そのような箇所があった場合、掲示板、メール等でお知らせ頂ければ
検討の上、理に適っている場合、全文削除させていただきます。
児童虐待。
この御時世、この言葉を知らないという人はいないだろう。
我が子の身体、精神、時には命や未来を、
利己的な事この上ない理由で
または、理由にも成り得ないような理由で傷つけ、時には殺めるという
犯罪。
私はこの場を借りてその親に問うてみたい。
『あなた方は、何故子供を産もうと思った?』
子供を虐待した、または虐待している親の方に聞いてみたい。
子供が出来たという事がわかった時、あなたは喜べましたか?
この新しい命を、ちゃんと社会で一人前になるまで見守っていこうと思いましたか?
本来、親というのはそう在るべきなんじゃないかと思う。
我が子の未来をそっと手助けをしてやること。
私は『体罰』に反対しているわけではない。
誤った道に立ち入りそうになれば、正しい道を示してやる。
時には言葉の通用しない時もあるだろう。
『体罰』とは、そういったときの『最終手段』として用いるべきだと考えている。
『躾』と称して、利己的な理由で体罰を与える。
それは『躾』ではない。
単なる『衝動に任せた暴力』である。
衝動の発散として、子供を傷つける『親』。
あなたはもう親ではない。
単に遺伝子情報を分け与えただけの存在である。
これから先、親になるであろう人、
そして、今正になろうとしている人へ。
産まれて来る子供を、喜んで迎えてあげてください。
心の底から祝福してあげてください。
そして、正しい方法で、正しい道を示してあげてください。
このテキストを、天国の勢田恭一君に捧ぐ。
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